SSブログ

「線維筋痛症では?」までの紆余曲折(2) [線維筋痛症]

(1)の続き。

■婦人科に言った日の当日の日記

女性ホルモンの血液検査の結果を聞きに行ってきた。

女性ホルモンが足りていないなら更年期障害。で、女性ホルモンの充填治療、若干リスク有り、をすることになる。と、前回言われていた。

主治医だった婦人科の外科医は、先週は、ほぼ女性ホルモンが閉経で枯渇、と、思っていたようだったけど……。


先生は、「血液検査の結果、女性ホルモンは不足していない、というよりも、通常の人より多いくらい」、という言葉を口にした。


女性ホルモンが減ると、必死で、女性ホルモンを分泌させようとして、なにかの値が急激に上がるそうなのだけど、それも全く数値が上がっていない。だから、その面からも、症状の原因は、女性ホルモンの不足ではない。

ということだった。



これで、内科、膠原病内科、整形外科、婦人科、すべての科で、何の異常も無い、私の身体は、全くの健康体である、はず、という結論になってしまった。




まぁ、内科医は、最初の段階で、女性ホルモン不足か、心療内科の領域、という話をしていたから、可能性的にはあるかも、とは思っていたけど。

リウマチでないのは有難かったけど。
それと、ほんと、生活習慣病の欠片もない、問題のない血液検査結果。
腎臓も肝臓も健康なのはありがたいよ。
女性ホルモンも大丈夫で、更年期障害ではありえない。
輸血と手術の効果で、医師が「異常すぎだった」と言うほどの私の貧血は完治。

全くの健康体……。なのに、何でこんなに痛くて、なんでこんなに怠いの?



「後は、心療内科ですか?」と、女性ホルモンが十分、という言葉の後で、口ごもってしまっていた先生に聞いたら、「まぁ、たぶん鬱でしょうね、何か、鬱の症状はないですか?」と、軽くおっしゃった。…けど、「いや、ないですよ」、と、つい口にする私。

鬱っぽい症状の自覚症状は無い、パニック障害や、社交不安障害っぽい症状は無きにしも非ず、という感じだけど。
でも、それ、欝じゃないし。
欝の症状はない、かな? で、間違いじゃないよね、と思うので、不思議そうに、「鬱ってことは無いと思うんですけどねぇ」。


「でも、心療内科、行くしかないんですよねぇ」
と、呟くと、
「あ、俺が手紙書きますよ」、と、「通いやすい心療内科のある病院、ありますか?」
まぁ、念のため色々調べてたので、無難そうなところのクリニックへの手紙を書いてもらうことにした。


「まあ、鬱は心の風邪みたいなものだから」、とか、良く聞く言葉を軽くいいながら、じゃあ、外で待ってて、という話で、この病院での、すべては完了。



後で調べたら、仮面うつ病、というのが、全くもって、私の状態にそっくりな症状で、なんというか、とても典型的な仮面うつ、心療内科の専門医じゃなく婦人科でもわかる症状なわけね、と、ちょっと納得した。
仮面うつは、身体的な症状しか訴えないのだそうだ。

でも、じゃあ、いつから?

とはいえ、まだ、心療内科で診てもらったわけじゃないからなぁ。
でも、心療内科以外の、ほとんど全ての科で、異常がなかったんだから、どうせ、うつ病の決めては検査では出ないわけだし、うつ病確定かな。


うつ病の治療がうまくいけば、もう、数十年近く悩んでいる症状から、脱却できるんだろうか?

(ここまで、当日の記録)


何か、その時は、仮面うつだったのか、と、無理矢理納得しようとしている感じだった。
実際、何の異常も出なかったし、長く続く痛みと倦怠感やらのせいで、気持ちが落ち込み気味だったのは確かだし、億劫で何もできない感じだったし。

でも、紹介状を書いて貰ったものの、心療内科に行くのは抵抗感があったみたいで。
そうじゃなくても怠くて、簡単なはずのことが、どうしても出来なかったりしてたし。
あっと言う間に数週間が過ぎ、しかし症状は悪くなる一方だったので、このままでは拙いと、何とか予約の電話を掛け、紹介状もらってから、1ヶ月後にようやく心療内科へと行くことに。


■心療内科

予約時間よりも10分ほど早めに来てくださいね。当日は、2時間くらいかかりますが大丈夫ですか? と、予約の時に丁寧な対応で言われていたので、あまり緊張せずに受付へ。

問診票に記入。
下調べしてたので、滞りなく、といった感じ。

その後、先生が見る前に聞き取り、ということで、臨床心理士さんと、もうひとりのカウンセラーさん?らしき人と私とで30分強くらいの時間、質疑応答。

手術の時のこととか、貧血だった時のこと、子宮筋腫と診断されたのはいつか等、それと生まれた場所、家族のこと、職歴、病歴、といった感じでざっと聞き取りがあり、自分の性格とか、今の症状とかも合わせて、ひととおりのことを話した。

その後、待合室で少し待ち、呼ばれて診察室へ。

穏やかな感じの先生は資料を見ながら、いくつか質問をしてきて、それに答える感じ。

しばらくして、「私、うつなんですか?」と聞いたら、「うつとは言えない」と、先生。
何気に、ビックリした。


もう、てっきり、仮面うつだということを受け入れようとしていたところだったから、私は、相当、驚いたような顔をしたのかも。


「線維筋痛症という、そういった症状によく効く薬がありますから」と、先生は言って、「それで様子を見ましょう」と静かに言葉を続けました。

「あ、線維筋痛症…って、検査とかでわかるんですか?」と、思わず聞いたら、先生はニコッと微笑して「検査ではわからないんですよ」と。


驚いたけれど、取り敢えず、この自分の身体の痛みやダルさは、線維筋痛症である可能性が高く、よく効く薬がある、ということに、安堵もしてた。



たぶん、私の線維筋痛症は、かなり早期発見だったのじゃないかな、と思う。

最近は、線維筋痛症の知名度も上がってきてることも幸いしてる気がする。
線維筋痛症は治療が遅れるほど症状が重くなって治りにくくなると効くし。
きっと、私の場合は、紆余曲折ってほどではなく、早くにたどり着けて、ラッキーだったのだろうなぁ。


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:健康

「線維筋痛症では?」までの紆余曲折(1) [線維筋痛症]

■退院後の経過

子宮全摘の手術も無事に済み、退院後15日目の経過も良好。
血液検査も問題なし。

傷の痛みは徐々に消えて、一月後には、普通に動けると思っていたのに、怠くて動きにくいのは退院直後とあまり変わらない感じ。

それでも、完全に元に戻るには3ヶ月くらいはかかる、という話も聞いていたので、少しのんびり構えてた。

ただ、「線維筋痛症のはじまりはいつ? ~痛み~」の所でも書いたけれど、3ヶ月たっても通常生活に戻れるどころか、ダルさと身体のあちこちの痛みは増すばかり。

もう、身体は元に戻ってるはず、健康体なはず、と、必死で仕事に戻ろうとしたり、じたばたと足掻こうとするものの、酷い倦怠感で何をするのも億劫、パソコンのキーを叩こうにも指の関節が痛い、重い物が持てない、ペットボトルの蓋が捻じる動きをすると手首が痛くて開けられない……。

そして、退院して3ヶ月後には血液検査にいかなければいけないってわかってたのに、上手く動けず、どうしても行く気になれなかった。

目覚めた瞬間から身体中が激痛で、目が覚めてから2時間くらいは起き上がれない。

いつの間にか、すごく簡単なこともできない、若しくは、億劫でやる気になれない…、という状態に。



時間が経てば回復するだろうと思っていたのに、予想に反して、体調は悪くなって行くばかりだった。

ずっと以前(十年以上も前)から、日記書くことを勧められて、ひとりごとみたいな文章だけれど、毎日何かどうか書いていたのだけれど、この期間、欠片の文章もメモも書いていないところを見ると、本当に何もかも億劫だったんだなぁ、と思う。

相方は、「もしかして、線維筋痛症なんじゃないの?」って、私に言ったのだけど、「え、線維筋痛症だったら、もっとずっと痛いんじゃないのかな?」と、その可能性については、全く思いもよらない、って感じだった。


どっちかって言うと、父がリウマチで、薬の副作用で生死の境を彷徨ったりしていたことや、リウマチは遺伝することもある、というのもあって、この身体の痛みと倦怠感はもしかしてリウマチなんじゃないか? って感じだった。

リウマチだったら少しでも早く治療受けないとまずい、と、重い腰を上げた時には、退院してから半年経ってた。




輸血の時の合意書に、輸血後の健康管理と副作用の有無をみるため、輸血から3ヶ月後に血液検査(肝機能、肝炎ウイルス、HIV等)をするようにとあったし、口頭でも言われていたのが、ずっと脳裏に引っかかっていた、というのもあった。

輸血したのは、手術前に極度な貧血を改善するため。

出血や強い貧血の場合、血圧低下で生命に危機が及んだり、各臓器に酸素が行き渡らず臓器障害を起こす危険があるということだった。



■そして、ようやく病院へ

手術を受けた病院の受付で、輸血の時に3ヶ月後に血液検査を受けるように言われていたことと、身体のあちこちの関節が痛くて、と相談したら、まずは内科へ、ということだった。

問診票に記入し、内科で担当の医師に症状を話し、その時にもう一度、血液検査をするように言われている旨を告げた。

リウマチの可能性はあるので、まずは血液検査をしましょう、とのこと。

リウマチであるかどうかの検査は結果が出るのに1週間かかるけれど、その前に、一応、今日のうちにわかる分の血液検査の結果をみましょう、とのことで採血して少し待ち。

30分ほどでもう一度呼ばれ、リウマチかどうかはまだわからないけれど、取り敢えず炎症反応はない。という結果だと言われた。

そして、即日分かった血液状態としては、すべての値が正常値!
貧血も改善した今となっては、まったく健康そのものの血液状態である、とのことだった。
嬉しいことに、メタボの欠片もないみたい。
それは素直に嬉しかった。


で、次に来た時には結果がわかるので、リウマチという結果であれば膠原病科、そうでない場合には、もう一度、婦人科、もしくは整形外科で見てもらうことになるでしょうね、とのこと。
そして、可能性としては、心療内科、ということもあるかもしれませんね、と、ちらりと付け加えられた。

リウマチか、関節等の異常か、子宮摘出の手術をしていることもあり更年期障害かも…ってことらしい。
一応、子宮全摘ではあったけれど、卵巣は残っているのでホルモンは分泌されると婦人科では言われていたのだけど。


リウマチの検査には時間がかかる、と聞いてはいたので、予約をとって、この日は帰宅。



■1週間後

血液検査の結果が出た後、直ぐに他の科に行くことができるように、と、内科の医師は一番早い時間に予約を入れてくれていたので、頑張って早起きして病院に行った。


血液検査の結果は…。
輸血後の、肝機能、肝炎ウイルス、HIVの結果も出ていて、こちらは全く問題なし。
そして、リウマチも陰性。色々と膠原病科系の血液検査をしてくれていたらしいけれど、どれも問題は無いということだった。
明言は避けていたけれど、内科医は更年期障害じゃないか、と、思っている節があった。


この時点で、膠原病科へ掛かる道は閉ざされてしまった。

もしこの時、膠原病科に行くことができていたら、線維筋痛症だってわかったのかな? というのが、今の時点で気にかかる点。

もしかしたら、今からでも、線維筋痛症だといわれたのだけど、と、膠原病科で診てもらうことはできるのかもしれないなぁ、とは思う。



で、内科医には、当初、言われていた通り、産婦人科と整形外科へと誘導された。

どちらを先にするか、といわれて、取り敢えず整形外科から、その後、産婦人科へ。ということになった。


結局、産婦人科の方にアキがあるとのことで、先に産婦人科で診てもらうことになった。
丁度、手術をしてくれた先生で、だいぶホッとしながら話をすると、「たぶん、女性ホルモンの関係でしょうね。検査に1週間かかりますが、原因がホルモンであれば、劇的によくなりますよ」とのことだった。

やっぱり、更年期障害……ってこと?

整形外科の後で、採血して帰ってくださいね、と言われ、今度は整形外科の順番待ち。

整形外科では、また問診票。どこが痛いか、身体の絵が描かれている所に丸をつける、というのがあって、そういえば、すべての関節が痛く、腰も痛いし、肋骨あたりや鎖骨も痛い…となると、絵の上には丸だらけ。

診察の時、整形外科の先生は、特にどこが痛いの? と聞いてきたので、右足の親指の付け根と、腰と、手の指と手首と告げ。
じゃあ、レントゲンを撮りましょう、ということになって、今度は撮影室へ。

撮影用のワンピースに着替えて、角度をかえながら腰部のレントゲンを2枚、手首から先のレントゲンを計2枚、右足の指の写真を2枚。
撮影は直ぐに済み、整形外科に戻ると、直ぐに呼ばれた。
昔と違って、今はデジタルだから、フィルムじゃなくて、パソコン画面に、レントゲン写真が映し出されていた。

オンラインなのって、いいなぁ、なんて思いながら話を聞けば、炎症は全くない。
変形も全くない。
リウマチどころか、全く正常な骨の状態だということで。
いや、まぁ、正常、骨に問題ない、なんて本当に嬉しいんだけど。

ここでも、線維筋痛症なんてことは、可能性としてもあげられなかった。

もう、完全に婦人科へと丸投げって感じの対応になってる感じだった。

それでも、「じゃあ、どうしてこんなに痛いんでしょう?」と、食い下がり、「湿布とか、痛み止めとかって、ダメなんですか?」「まぁ、そういうの試してみるのもいいんじゃないですか?」と言って、1月分くらいの湿布と痛み止めの処方箋を書いてくれた。


もう、これで完全に、更年期障害、決定かぁ…、と、何か微妙な気分。
また1週間の結果待ち。
それでも、まぁ、気休めでも湿布と、痛み止めがあるので、取り敢えず様子見ようという感じ。
まあ、微妙な気分ではあるものの、女性ホルモンの問題であれば、劇的に症状改善、という言葉には期待できたし。

女性ホルモンの治療って、どんな感じなんだろうなぁ、と、血液検査待ちの間、調べたりもして。
調べてるうちに、好奇心が疼いた、というか、ちょっとだけワクワクしてたりもした。


実の所、処方してもらった痛み止めは、天気が悪くなる時になる頭痛とかには効いたけれど、湿布も合わせて、関節の痛みにはあまり効かなかった。

痛い所があちこち飛ぶものだから、痛い所全てに湿布貼ろうとすると、全身くまなく貼るようなことになっちゃうし、元々、あんまり現実的な対処方法ではなかったかなぁ、とは思う。
そして、1週間……。


(無茶苦茶長くなっちゃったんで、(2)で続き書くね)


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:健康

ガッテンの金属アレルギーにしみじみ ~歯の詰め物~ [アレルギー]

2013年09月18日放送のためしてガッテン「あぁ突然!金属アレルギー 体質改善の謎一挙解明」を見ながら、そういえば、私も金属アレルギーだったなぁ、としみじみとしちゃった。

過去形なのは、今は、金属アレルギーは治まっているし、肌に触れる金属類は、一切身につけていないから。
再発は極力避けたいもの。


随分と前の話ではあるけれど、いきなり花粉症を発症した、と思ったら、同時に、ガッテンの番組中で紹介されていたような金属アレルギーの症状がでてしまったのです。
顔、しかも目頭とか目立つ場所に、あの症状が出てしまって、化粧もできず、隠すに隠せず、ホントに辛かった。
顔だけじゃなく、指の根本とか、肘の内側とかにも出てたし、確かに、汗の季節はひどくなってたような記憶があるかな。

金属アレルギーだった、というのは、治ってからわかったのだけど、
私の場合、原因は小さい頃に虫歯の治療で詰めたアマルガムという詰め物だったのです。


その時は、治療が済んでる筈の歯の奥で、尋常ではない激痛があって、歯医者にいきました。
上の歯の詰め物の所から、腐食して、歯の根から炎症が広がって、副鼻腔まで突き抜けてしまっていたらしく。
歯医者さんでレントゲン撮って、その辺りが判明しました。

ついでに薄く削られて詰め物をされたその歯は、金属からの腐食で、根だけが残っているような状態。
要は、歯の肉の中に歯の根元だけが残ってしまって、歯を抜くことができず、切開して取り除くしかない、とのことでした。

副鼻腔に膿みが溜まっているとかで、鼻の症状も指摘されました。
慢性副鼻腔炎は、このせいかも、と言われました。


日を改め、歯の根の奥に残った歯の欠片とかを切除するため、部分麻酔による手術をしました。
歯科医で日帰りの手術。

歯から副鼻腔まで穴が空いた形になった時、医師に言われて、口内から歯を除去した上の歯の位置から鼻へと空気が通るのも確認しました。
縫ってはあるものの、口内の圧力を変えないように、と、抜糸しても1月はストロー禁止とのことでした。
麻酔が効きにくくて手術が終わって笑気ガスのマスクを取ったら、すぐに麻酔が切れてしまって痛みにのたうちましたし、くしゃみとかも禁止なので、花粉症の身には辛かったです。

でも、この手術の後、しばらくして、思いがけない変化が!

その後も、しばらく歯科に通って、抜糸や消毒、他の歯の詰め物の詰め直しをしたりしてたのですが…。
気がついた時には、金属アレルギーだけでなく、悩まされていた慢性副鼻腔炎まで、スッキリと治っていたのです!

化粧も普通にできるようになったし。

でも、金属アレルギーだったんだ、と、わかってからは、金属類を身につけることは一切してないです。


まぁ、花粉症は相変わらずですけど。
ただ、最近は、花粉症も以前ほどひどい症状では無くなってきているかな?
なので、アレルギーは完治はしないかもしれないけれど、だいぶ症状を抑えることはできるのかも、と、実感してます。

ガッテンによると、金属アレルギーは、肌に金属が触れて汗をかいた時、更に掻いてしまって傷ができることでスイッチが入るとか。
汗の季節は、金属を身につけないに限るかな、という気がします。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:健康

今後の記事書きの考察するつもりが… [所感・日記]

本当は、退院したらすぐに、入院中のこととか、手術のこととか、忘れないうちにブログの記事にしようと思っていたのだけど…。

全身を転々とする痛みもあるけれど、
貧血は治り、手術で貧血の元となった子宮筋腫もなくなり、子宮全摘で生理痛もなくなったのに、
記事を1つ書くだけで、まるで激しい運動をした後のような疲労感。
怠くて起き上がれない日の方が多くて、以前だったら、とくに意識しなくても楽にできていたことが、とにかく、できない。といった日々だった。


子宮筋腫の大量出血からくる貧血で、ダルさ、眩暈、耳鳴り、全身倦怠感、立ちくらみ、息切れ、呼吸困難、胸部の痛み、集中力の欠如、むずむず脚…といった症状がでてたけれど、気力があることだけが取り柄だったから頑張れていたけれど…。
退院してからは、ダルさと痛みが続き、唯一の取り柄だった気力が無くなった。

簡単なはずの短い記事もかけず、デジカメの取り込みの気力もない。
かろうじて料理は、凝ったものはつくれないにしても、とりあえず作れてたけど、それ以外は全くダメ。

輸血も手術も差し迫っていて選択の余地はなく、でも、お医者様も看護師さん達も、これで普通の生活に戻れるよ、と言ってくださっていたし、私も、貧血さえ治れば、少なくとも、ひどいダルさは無くなって、集中力も戻ってくるだろうと思ってた。

実際、手術前、輸血を先にして貧血が治った時、別世界だ~、と、マジで思った。
立ちくらみも眩暈もなくなり、視界は明瞭、呼吸困難も、ダルさも無くなった。むずむず脚すらなくなった。
感動する私に、これが、本来の世界だよ、と、看護師さん方々は口々に言ってくれた。

後は、これ以上の失血を防ぐためにも、巨大化した子宮筋腫を取るために、子宮全摘の手術。
術後の経過も、順調。これで傷が癒えれば、全部、改善! と、本当に回復を楽しみにしてたのです。

でも、子宮筋腫+貧血は、輸血と手術で改善したはずが、術後、いつまで経ってもダルさがとれず、それどころか、色々な箇所の痛みが増えていって、いつの間にか線維筋痛症になってた……。
集中力はいつになっても戻らず、気力も無くなった。



いや、本当は、こんな内容を書こうと思ってたわけじゃなく、少し気力が戻ってきたので、入院していた頃のことや、手術のことを書くために、どんな風な形で、遡った記事を書いていこうかを考察しようとしていたんだけどなぁ。

何か、まだ、本調子ではないんだろうね。

それと、やっぱり、解せないんだろうなぁ、自分の状態が。
何で、こんなことになっちゃってるのか、いつからこんななのか、反芻しようとしているのかなぁ?


一応、「入院」と「手術」というカテゴリを作って、病院で書いていたメモを元にして記事を書く予定。

貧血や子宮筋腫、手術、入院、線維筋痛症、そういった同じ悩みのある人に、少しでも参考になることが書けたらいいな、と思うし。

それと、自分で調べたこととかも、順不同にはなるだろうけど、書くつもり。
貧血に効く料理とか、バランスの良い食事のためのレシピとか、健康に役立つ情報として書けたらいいな、とも思ってる。

集中力が今ひとつ、というか、何か、文章書くときの組み立てが上手くいかないというか。
このあたりも、貧血で体調崩す前の状態に、少しでも戻れるといいんだけどなぁ。


nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:日記・雑感

線維筋痛症のはじまりはいつ? ~痛み~ [線維筋痛症]

線維筋痛症らしき痛みは、いつから始まったんだろう?

腰の痛みはずっと前からあって、思い返してみれば、貧血や子宮筋腫になったであろう頃から、という気がする。

胸の痛みや呼吸困難は、貧血のせいだったらしく、輸血してから無くなっている。
(でも、最近になって、あの頃と同じような胸の痛みが時々出る)

そういえば、極度の貧血と子宮筋腫で入院した頃には、貧血の様々な症状に加えて、腰痛、むずむず脚、胸の痛み、あちこちの関節痛があった。
特に、むずむず脚はかなりひどくて、時には脚を切り落としたくなるような感じで、叩いたり、壁に打ち付けたり。

極度な貧血があまりに危険ということで、急遽、輸血になって、その後は、胸の痛み、むずむず脚といった貧血が原因となっていたらしき症状は、ぴたりと治まった。
鉄の欠乏が、いろいろな症状を引き起こしていたんだろう。
関節の痛みや腰痛も、割と平気になったような気がしてた。

ただ、すごく気になっていたのが、点滴のための挿しっぱなしのプラスチック製のカテーテル。
みんな平気にしてるし、1週間くらい挿しっぱなしらしいのだけど、これがやけに痛い。
2日くらいすると、詰まってしまったり、痛みとともに刺してある箇所が腫れてきたりする。
長期の貧血で血管が細く弱くなってる、と、言われたけれど、とにかく痛い。
仕方なく場所を変えるのだけど、刺しっぱなしにできる静脈の血管が少ないとかで、刺したものの、上手く行かずに刺し直しで、何箇所も針穴が!
針の刺した後は、何か治りが悪く、1週間くらい腫れてた。
特に痛かったのは輸血。
点滴よりちょっと太い針だということで、痛さもひとしお。
そして、途中で腕がパンパンに腫れて、また刺し直し。
痛い場所が増えまくったけれど、輸血したことで、1日2回の鉄分の点滴がなくなり、カテーテルの刺しっぱなしからは開放された。
でも、手術の際には、また針を刺さなくてはいけないので、だいぶ憂鬱だった。

そして、2週間ほどの入院で体力が戻った頃に子宮筋腫の手術。

思ってた通り、手術の時も、針には悩まされた。
朝早いので、前日に手術用の点滴の太い針を刺したのだけど、翌日になったら腫れて、刺し直し。
しかも、今までの点滴や採血時に刺し直しが多く、腫れて使えない血管ばかりで、使えるのは、最後の1箇所、最終手段の手の甲で、これでダメなら首とか言われた。
結局、失敗は許されないとかで、看護師さんではなく、医師が手の甲に針を刺してくれた。
手の甲は、静脈の弁の関係で、針刺すのが難しいらしい。
それにしても、無茶苦茶痛かった…。



術後は、もちろん、手術の傷は痛かったけれど、それ以上に、ひどい膀胱の痛みと、肩の痛みが襲ってきた。
何より導尿のカテーテル…。
これが、膀胱に当たっているのか、尋常じゃない痛みで。
医師は、膀胱炎を疑って、尿検査してくれたけれど、すこぶる良好で何の問題もないらしい。
でも、激痛。
そして、手術の傷は、もちろん、激痛。ただ、これは、予期してたし、かならず痛みは引いてゆくとわかっていたから耐えられた。

手術後の痛みを和らげるために、背骨の所に麻酔の細い管が、術前に麻酔かける時に入れてあったのだけど(硬膜外麻酔というらしい)、これが、なんか違和感、というか痛い。
髪の毛ほどの細さの管なので、痛みなんかはない筈。管を入れる時は、全然痛くなかった。
術後、痛い時ワンプッシュすると痛みを楽にできる、ということだったけど、ワンプッシュがなんか、入った感じがしないし、効かない。ちょっと吐き気がする、という感じで、合わなかったのかな?

何か、後から思い起こすと、私には、プラスチックの管系が、ことごとく合わなかった気がする。

術後、すぐに身体は動かすことを奨励されてたし、痛みに耐えかねて、早めに導尿用のカテーテルは抜いてもらったので、傷が痛くてもトイレに自力で行くことになった。
傷の痛みは、意外に平気だった。
それよりも、肩の痛み。
子宮全摘出で切開手術したので、立ち上がる時にお腹に力を入れられなくて、腕で支えたせいか、とにかく、肩が激痛。
軽いうわがけの布団を少しずらそうとするだけで、ズキーン、と、激痛。
カテーテルを抜いた後も、トイレに行くと膀胱が激痛。

傷より痛いと看護師さんや、医師に訴えかけても、不定愁訴と思っているのか、全然とりあってくれなくて。

術後から退院するまで、膀胱痛と、肩痛と、腰痛と、頭痛と、針の刺しあとの痛みに悩まされ、しぶしぶ湿布や、痛み止め用のボルタレンを出してはくれたけれど、ほとんど効かず…。
それと、手や指にうまく力が入らない。
そして、尿検査も血液検査も問題なく、抜糸も済んで、退院。

退院後、日毎に傷の痛みは小さくなり、膀胱の痛みはとりあえず治まり…。
でも、身体のダルさが、いっこうに取れない。

ダルさに加え、傷の痛みで紛れていた痛みが、次第に出てきた感じで、腰痛、肩や関節の痛みが気になりだし…。
1月たったも、3月たっても、通常生活に戻れなかった。

ズキズキした関節の痛みは、何気に左右対象、手がこわばって、うまくパソコンのキーが叩けない、朝、身体中がこわばって痛くて動けない……。

私の入院と前後して、郷里の父が、ひどいリュウマチで、薬のせいで免疫が落ちて肺炎になって危篤、ということもあって、何とか、危篤は乗り切って、無事退院したけれど。そんなことも脳裏をめぐり、リウマチは遺伝する、というような話もあって、もしや、私もリウマチ? と心配になって、来院。

その後、紆余曲折で、線維筋痛症ではないか、ということで現在、投薬で様子見中。

振り返ってみれば、手術が引き金だったのかなぁ、という感じ。
生理痛の激痛と腰痛・関節痛、慢性化したダルさはずっとあったし、筋力低下もあったけど。

術後すぐではなく、術後にじわじわと、という感じだった気がする。

nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:健康

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。